「かしまし」今日の考察、つけたし(というか、こっちが最初に来るべき)

そうそう、先に基本構造は明確にしておこう。というか、非常に明確なんだけど、はずむくんはあくまで男の子(ただし、少女漫画的ステロタイプな男の子ではなく、もうちょっと今の弱気な男の子の心性に近い)としての立場にありつづけていて、そのまわりでやす菜ととまり、あと微妙にあゆきあたりが駆け引きをしているという、シチュエーションラブストーリーですな。いろんな部分だけ見ると色物っぽい(というか、アニメ始まるまでは完全に色物扱いしてました。ごめんなさい)んだけど、基本はド直球。ファンタジーとして見ても、基本的に足を地に降ろしているキャラクター設定やらなにやらがあった上でのことなので、なかなかうまくできてると思います。

で、これはあかほりさとるという人がどこまで考えたかというのは……、予想ですが、たぶんほぼ全てのアイデアやプロットは彼から出たものでしょう。彼の久々の本気というか、やってみたかったことがこれなんだと思います。一応傍証として、2003年ごろのポリケロで、すでに「かしまし」の第1話プロットが詳細にできあがってて、それを話していたというネタも入手しております。プロデューサーとしても、百合方面のバリエーション(直球から変化球系統まで)が一通り出尽くしたこの時期に投入したというのが絶妙。たとえばこれが今年の秋だったとしたらひっぱりすぎだし、かといって去年の夏秋あたりだと、他の作品が強かった時期なのでちょっと厳しかったかもしれない。そこらへんの事情までくみ取ってやったかどうかはわかりませんが、結果オーライだとしてもかなりいい線は行ってると思いますな。やっぱ、蓄積のある人は違うなー、と素直に感心させられました。

萌えの再定義

もう「萌え」という単語が商品化されて久しくて、かなり手あかがついたモノ、あるいはそろそろ飽きられつつあるモノになってきてるんですが、最初にこの概念が発見されたときのインパクトってのは、結構強烈だった気がするわけです。起源とかをたどるといろいろ面倒くさい話になったり、あるいは個人史に属する話になってくるので割愛しますが、そんなに軽々しく使われる単語ではなかった気がするわけですよ。

「かしまし」がやってるのは、少女マンガなどではもうさんざんやり尽くしたストーリーラインではあるんだけど、ある種、この原初の「萌え」というのはどういうものだったのかなあということを思い出させる点が見られる気がするわけですよ。いや、もちろん別の方向のアプローチもあるし、それは実はちょっとわしにはよく分からないんだけど(なんせこの方面をちゃんと考え始めたのはそれこそTLS1あたりからなんで)、たとえばこういう直球はわしは非常に好きで、継続して演っていってしかるべき題材だと思うのです。

そこから飛躍して「萌え」を再定義する、というのはきっといいすぎなんだけど、はずむとその周辺が織りなすストーリーから感じ取れるものは、再発見させるという力を持ってる気がする。作り手は当然こういうのを意識していくべきだし、見る側も何でも迎合しないで、光るものを見つけ出す努力が必要だよなあ、とか、まあそんな感じで*1

とりあえず明日の第5話放送後に続く。

*1:実は今レギュラーで仕事をいただいている某社に対する根本的な批判だったりはする。気がついたらちょっと気にしてください。どうせこっちは傭兵なのですぐにいなくなりますんで。