涼宮ハルヒの接吻

ワールドカップは無事日本が敗退し、世間一般の気分はサッカーから夏の行楽に変わって来つつあり、ようやくじめじめとした梅雨というこの島国特有の憂鬱な季節から抜け出そうという頃、俺の目の前の年中ノーテンキバカ女はこんな宣言をしていた。

「ギャルゲーを作りましょう! いや、なんならエロゲーでもいいわ!」

こいつの言動に脈絡があった試しはないが、今回のはとくに奇抜だ。ギャルゲー。国木田あたりがたまに口にすることはあるので多少知ってはいるが、俺の知りうる限り一般的な女子高生が口にする言葉ではない。しかもエロゲーだ。不純異性交遊は校則で禁止されており、ナントカという団体が自主的に青少年への販売を自粛している、主にパソコンで動作するわいせつなゲーム。そんなもんを作るのか。というか誰が作るんだ。

「みくるちゃんを見てて、萌えって何かなあって考えてたのよ。で、ちょっと研究のためにゲームを遊んでみてね、」

そのゲームは買ってきたのかお前が。それともコンピ研のあの可哀想な部長氏あたりからせしめたのではあるまいな。

「あー、これだー! って思ったのよ。なんせ女の子がみんなかわいいし」

そりゃあ、男子向け特定の需要を満たすために作ったものだから、魅力的な女性キャラクターがたくさん登場するのは当たり前だ。俺としてはそんなものより朝比奈さんのナース服姿を眺めているほうがよっぽど心が和むが。本当はメイド服のほうがもっといい。

「そのなかで、私みたいな女の子もでてきたわけよ」

お前みたいなのが、たとえ創作中であっても出てきてたまるか。お前のその無軌道な思いつきと行動のせいで、何度世界が破滅の危機に瀕したのか分かってるのか。いや、分かられても困るし、俺自身も実際どういう世界の危機が発生していたのか、詳しいことはよく分かってはいないのだが。だいたいお前みたいなキャラをおとして楽しむようなオタクが世の中にいるのか? ……いるのかもしれない。世界は広い。なんせこの部室の中には自称宇宙人、自称未来人、自称超能力者が揃っているわけだから、ハルヒ萌え〜なオタクがいたとしてもおかしくはないのかもしれない。

「どんなお話なんですか?」

相変わらずニヤついた表情を顔にこびりつかせていた古泉が余計なことを聞きやがった。

「IQ190の天才少女なんだけど、他人とは関わらない孤高の女! って感じで、彼女が実験と恋を知っていくって話なのよ!」

どこがお前みたいな女なんだ。他人とは関わらない孤高の女といったら、明らかに長門じゃないか。むしろお前は他人と必要以上に関わりすぎなんだ。すこしは自重という言葉を知って欲しい。誰かこいつの自己評価の目安がどこらへんにあるのか教えてくれ。知っても無駄だとは思うが。

「で、まわりを見渡したら、ちょうどギャルゲーに出てくるような女の子が揃ってるじゃない? パーフェクトな天才少女、ロリ巨乳の萌え担当、それにメガネの無口少女よ!」

なるほど、こいつの自己評価はパーフェクトな天才少女なのか。はなはだ遺憾ながら納得しがたいが。で、お前は攻略対象キャラなのか。主人公は誰なんだ。

「いいのよそのへんは。どうせSOS団を売り込む手段なんだし。というわけでキョン、作るわよ」

いっておくがなハルヒ、俺は一般的な学問を修めつつある善良な一般男子高校生で、ゲームを作るノウハウも手順も何も知るわけがない。IT関係はSOS団のページを作る程度が精一杯だ。

「大丈夫、そのへんも調べたのよ。最近はこういうエロゲーを作るためのツールがあって、それを使えば誰でも作れちゃうのよ」

そんな無茶な話があるわけがない。映画を作るのですらあのていたらくだったのに、キャラクターごとのシナリオ、絵、音楽、できれば音声あたりが揃ってなければつくれるはずがないだろう。いくつかは素材を使うにしても、そりゃ作るんじゃなくてコラージュだ。だいたい、そのツールとやらはどこにあるんだ。売ってるのか。フリーだとしても、俺たち一般人が使いこなせる程度に簡単だとはとても思えないが。あと、ギャルゲーなのかエロゲーなのかどっちなんだ。高校生がエロゲーを作って売ることはこの国では合法なのか?

「とにかくいいわね! 夏のコミケに間に合わせて、絶対に売り切るわよ!」

こいつが一度言い始めたことをやめた事例を、俺はあまり知らない。というわけで、なしくずしにゲームを作るという無軌道な宣言だけがされた。まあ、映画の時のように朝比奈さんがそこらへんで色っぽい格好を晒すということは……たぶんないんじゃないかと思う。もう俺が苦労するのは世界全体(つまりはハルヒだ)の総意というものらしいので、俺は諦観の念とともに深々とうなだれるだけであった。

しかし、いつものように事態がこれだけですむはずはなかった。翌日。

キョン「あ、おはよう涼宮さん」
涼 宮「おはようキョン、今日も暑いわね。まったく、イヤになるわ」

……待て待て待て。落ち着こう。なんだこの会話は。俺はなんで「おはよう、涼宮さん」なんて普通の学生っぽい挨拶をハルヒにしてるんだ。しかも涼宮さん。そんな呼び方したことは一度もなかったはずだ。それに対するハルヒの返答もおかしい。というか、全体的に何か違和感を感じる。少なくともハルヒパロディであるところのこの文章で、なぜ名前が前に付いたカギ括弧文体で話が進み始めたのだ。そして、ハルヒはスッと消えて、目の前には朝比奈さんが現れた。

みくる「おはようキョンくん」
キョン「あ、おはようございます朝比奈さん」

まただ。なんだこれは。朝比奈さんは相変わらず制服姿も愛らしくて、とても俺の心を癒してくれるわけであるが、やはり会話全体から漂う雰囲気がおかしかった。

長 門「………………」

気がつくと校門には長門もいた。なぜか朝比奈さんと横並びで、いつも以上に硬直、というか、不自然な姿勢でたたずんでいる。いったいこれはなんなんだ。

長 門「情報のやりとりの方法に改ざんが加えられた。私たちは何らかのルールによって生活することを強制されている」

つまり何か、無軌道ではあるがきわめて小説的に進行していた俺たちの世界が、ハルヒがいわんとするところのギャルゲー世界だかエロゲー世界だかに書き換わりつつあるのか?

長 門「簡単に言えば、そう」

なるほど。なんというかこう、いきなりドラゴンなんとかだのファイナルなんとかだのみたいに魔王やら真の闇やらに立ち向かう勇者でなく、普通に学生生活を営める程度の改変で良かったとは言える。なんとかしなくてはならないが。……ちょっと待て、これから始まるのはギャルゲーだかエロゲーのフォーマットで繰り広げられる日常ということなのか?

長 門「今までかけられていた制限が、別の形に変わっただけ。だから、問題はない」

問題なくはないだろう。そもそも、これは誰視点のゲームという扱いになるんだ。

というところで、俺は非常に嫌な考えを思いついてしまった。ハルヒはこういった。天才美少女、萌えキャラ、無口少女が揃っていて完璧じゃない、と。奴は今回主役ではなく、ヒロインに回るつもりだ。となると、主人公は男性。まさか古泉ってことはないだろう(奴ならそんな事態になる前に手を打つはずだ)し、主人公は俺しかいないじゃないか。

みくる「キョンくん、どうしたんですか? 顔が真っ白ですよ。保健室に行きますか?」

ああ朝比奈さん、多少体調が悪くてもあなたを見ていれば0.3秒で回復してしまいますよ。むしろ朝比奈さんと俺とのラブストーリーを進行して主人公の役得を……。

古 泉「そうはいかないでしょうね。涼宮さんは、自分がメインヒロインだと思っているようです」

3人目が現れた。どうでもいいが目の前に3人も並ばれると鬱陶しくてかなわないのだが、これがこのギャルゲーシステムの強制なんだろう。画面表示には限界もあることだし。

古 泉「あなたが主人公で、涼宮さんをヒロインとするゲームを、彼女はたった1日で作り上げたんですよ。あなたはその使命の通り、涼宮さんを落とさなくてはいけない」

さっぱり意味が分からない。俺は本来主人公という柄ではないが、そういう役割になってしまったが以上、俺の好きなようにこのゲームをプレイしてやるぞ。目標は朝比奈さんとのエンディング。これしかない。

古 泉「ところがそうもいかないんですよ。なんせこのストーリーを作ってるのは涼宮さん自身なんですから」

つまりなにか、ハルヒは俺とのラブロマンスを楽しむためにこの大仰な世界改変を行ったというのか? あいつが俺に惚れてるそぶりなんか見たこともないし、見たとしても俺は大急ぎで逃げ出す所存満々だぞ。

古 泉「まあ、詳しいところはあまり考えてはいないのでしょう。ゲームと現実世界が若干混じってしまっているだけで。それに、この程度の世界記述の違いは、世界全体の改変から比べればごく小規模です。▼」

なんだその▼は。

古 泉「ああ、何か長文を喋ると途中で読みやすいようにマークが入るようですね。それはともかく、ぶっちゃけていえば、この程度は観測している対象がどう受け止めるのか、という変化にすぎません。物理法則やなにやらが根本的に変わってしまうのとは質が違います。▼」

俺としては十分問題があると思うんだが。というか、その▼はまだ話が続くということなのか。

古 泉「失礼、いっぺんに全部喋ることが出来ないんですよ。ともかく、涼宮さんがこの程度のお遊びで心を慰めてくれるのであれば、このまま最後まで続けてしまっても問題ない、と<<機関>>では結論がでたんです。むしろ閉鎖空間が発生してくれないなら万々歳、といったところで」

長 門「情報の噴出に変化があった。観察には絶好。このまま進めることを、希望」

長門が珍しく自分から口を開いたかと思えば、よりによって古泉の味方に回りやがった。そして朝比奈さんは、

みくる「あのぅ、とりあえず下駄箱にむかいませんか? そろそろ授業が始まってしまいますし……」

事態の変化に気がついているのか、むやみなコスプレのせいで慣れてしまったのか、それとも一番現実的なのか。

というわけで、俺主役、涼宮ハルヒヒロインのギャルゲー(題名不明)が始まったのである。

当然

続かない。あと、時系列がいろいろおかしいけどあんまり気にしないように。谷川流の文体をまねるのは簡単なようで案外難しい。すごい特徴があるからメタ小説のネタにはしやすいんだけど。虹裏スクリプトとしてあげようかと思ったけど、長いのでやめてこっちに置いとく感じで。あと、おかしな部分は全部チョーヤの黒糖梅酒のせいにしておきます。

追記

アクセスが殺到してビビってます。とりあえずこっちも読んでおいてください。