エースコンバット6 解放の戦火

ようやくNORMALで1周終わり。とりあえず。
うーん、今回ばっかりは本編がトレイラーに負けてる気がします。いや、ゲーム自体は相変わらず大変素晴らしいんですが、物語のほうが。

エースコンバットシリーズが物語として挑戦してたことは、たぶん現代〜近未来に近い架空の歴史をいかにプレイヤーに提示するかって部分だったと思うんですよ。その点、わしはAC3ってかなり評価してる人だったりします。主人公自身が叙述トリックの要だったという部分を含めて、ゲームというメディアで物語を提示する際に、あれを超えるやり方ってなかなかないかなと。まあ基本的に一度しか使えないんですけどね?

でまあそれが不評だったというのもありますが、AC04では語り手に戦闘とは無関係の少年を据えてきた。これも実は大変評価してるんですわ。というのは、これはわしの個人的な理由なんですが、あんまり軍人の話って共感できないんです。いや、面白いとは思うんだけど、今ひとつのれないというか。たしかにプレイヤーは戦闘機乗りで、それを中心とした話にせざるを得ないんだけども、我々の人生からは身近ではないわけですよ。ファンタジーならそれはそれでいいんです。ACの問題は、現代に近い世界観で物語をやってるところなのかも。半端に身近なので、かえって遠いものに感じられるというか。そういう意味で、AC04の語り手が戦災にあった少年というのは、非常にしっくり来たんですな。

で、AC5。これも評価してるのは、やっぱりジュネットという語り手の存在ですな。ただ、AC5では主人公であるBlazeがわりと人間として描かれてしまっているので、これはどうなのかなという部分があります。ただ、それも善し悪しで、ACZEROみたいに「ミッシングリンクを追うドキュメンタリー」とかしてしまうと、話としては若干物足りない印象を受けるかなとも思ったり。いや、でもACZEROもいいんですよ。あのフォーマットで架空史のドキュメンタリー的なドラマをでっち上げて放送したら結構ヒットすると思う。

ちなみにあんまり世間の目にさらされてないACXですけど、まあお話は小さくなってしまったかなあという感は否めませんが、それでもそれなりだったとは思うのですよ。ジュネットを語り手に据えるフォーマットは、あともう一度くらい使えると思うんだけど。それだとあの人の人生どれだけ波瀾万丈なんだよって話になりますが(笑)。

というわけで本題のAC6。やっちゃったー。群像劇です。いや、悪いとはいわないんだけど。これがACじゃなかったら手放しでほめてるくらいにはよくできてます。が、これはストーリーテリングにも定評のあるエースコンバットシリーズだったんだなー。

たぶん、お題として「商品的にアメリカが主戦場なので、基本的に出てくる人全員ハッピーエンドよ」縛りはあったと思うんです。ZEROの時みたいなノリは浪花節好きな日本人には受けるけど、たぶんアメリカ人は微妙にもにょると思うんです。あと、さすがにベルカみたいな分かりやすい「悪」はそろそろ設定しづらくなってきたし。

しかし、あそこまで「いくつもの偶然が重なってひとつの流れが出来る」みたいな話はないだろー的な。どっちかっつーとデウス・エクス・マキナじゃないですか。特にヴォイチェクとメリッサが出会うとことか。あんな最終兵器の話を民間人にはしないだろ。いくらなんでも。繰り返しになるけど、ハリウッドとかではこれはぜったいアリ。つか、AC5のジュネットがラーズグリーズの面々と逃げるとこもわりとないよなーと思いつつ、あれはストーリーテラーの力量で押し切られた。そういう勢いも今回ないんだよね。今回「天使とダンス」ってキーワードだけでなんとか引っ張ろうとして途中失速した感が否めません。

まあ、文句を言ってる割には楽しかったですけどね。ただ、せめてエンディングの「A Brand New Day」は、日本語訳詞をテロップで入れるべきだった。あれの意味を理解しないと話がちゃんと落ちない。ぶっちゃけニコニコで訳詞ついた動画見てなかったらそこまで深く解釈しないで「何この半端なオチ」で終わってた気がします。聞き取りやすい英語なんだからそのくらい聞き取れ。その通りだ。俺乙。でもボーイソプラノの高音は無理ぽ。

もうひとつ気になっている点

まあもうオーシアがどっかと戦争したって話は難しいと思うんだけど、エメリアのあまりのアメリカっぽさとエストバキアのあまりの描写不足が若干気になった。アメリカみたいな国って、一つの惑星には一つくらいしか存在できない気がするんですよ。そういう意味でエメリアは劣化オーシアっぽい。共和制を取ってるということで、たぶんモデルは別なんだろうけど*1エストバキアは「将軍たち」が全く話の中で見えないのが気になる。確かにこの話はエメリアよりの話なのであんまり出てこないんだろうけど、ACXですらディエゴ・ナバロという男を通じてレサスという国を裏打ちしてたんだけど、エストバキアは「ユリシーズで被害にあって経済壊滅、なんで他国侵攻するよー」ってのと、ヴォイチェクをはじめとしたエストバキア人の個人の事情は描いてる程度で、それ以上のバックグラウンドを探りようがない。今回、実質のストーリーテラーが「私は戦争のことは分かりません」とか言い切っちゃう人なので(笑)しょうがないのかなーとは思うが、ニュースを挿入するとか、もうちょっと出来ることはあったように思うのです。この世界で1999年にユリシーズにやられた国っていくらでもあるわけだし。

そういえば、南半球はユリシーズの被害受けてないんだよね。オーレリアのあの加速器はもともと発電用だし、あそこ学術都市って設定だし。レサスが経済的に疲弊してたのは、やっぱユリシーズの余波なんかなー。直接被害がなかったとしても内戦状態が続いてたわけだし、まあわからんではないけど。しかし、彼らがオーバーテクノロジーを持ってるのはちょっと納得いかんよなー。1999年前後に全世界的に飛躍的に進歩はしたとしてもなー。まあ、あんまり突き詰めてもしょうがないからいいかー。

*1:いや、アメリカは共和制ですが、それ以前に合衆国なんですよ。なんで、共和国と付くのであればもっと単純な共和制の国なんだろうなあと。フランスとか?